第15回 伝統太極拳談議サロン
2015年9月新学期開始に思う 安井推進部長
9月新学期説なら今日9月13日(日)は、私にとって新学期
初めての道場での稽古。 緑濃き美濃加茂(蔵鷹閣)は、
夏と秋の狭間、さわやかな風、まだまだと降り注ぐ日差し、
垣根越しに見える朴の木の葉の変化を見ながらの楊式三套路
はまさに自然に溶け込み一体感を体験する一時でした。
゛一招 一勢 如 行 雲 流 水゛ を夢みゆったりとした
一時を過ごしました。
(楊式三套路の努力に朴の木が答えてくれました。)
l そよ風に 朴の木舞って 葉が返る。
l 風舞って 朴の木返り 笑顔見せ。
朴の木の葉の裏は白く、風の強さで無表情から白い歯(葉)を
見せ、ニコット笑ったり、総立ちして拍手したりと様々に
変化して楽しませてくれました。
(山荘の草むしり)
l 草を摘む 手につたわるや 根の強さ。
l 道場の 草の根強し 汗を拭く。
まさに勁整 ゛勁起於脚根...゛ の教えを草も学んだか?
石の隙間より季節外れのスイカの実が顔を出し、夏練三伏の
成果ここにありと誇らしげ。
(しかし季節は、まさに秋 道場のそこかしこに秋の実が
静かに顔を出しております。)
l まだ早し 栗や柿の実 顔青し。
(午後練はまだ夏?)
l 日差しさけ 影をしたいて 套を練る。
第14回 伝統太極拳談義サロン 「私のパートナー」
瑞穂 向井さん
「太極拳、それは生活の一部である。」と言っても過言ではない。
思い起こせば、何の知識もなく「健康に良さそう!」という理由で
教室へ参加することにしました。レッスン終了後、心は決まって
いました。すっかり先生の魅力に心を奪われました。
「第7回 伝統太極拳談議サロン」 が述べられていましたが、
「三年勤め学ばんよりは、三年師を選ぶべし」とあるように、
最初にして大変幸運でした。
それからの月日、太極拳の奥深さに、ただただ頭を垂れるばかりの
日々です。当初型を覚えれば出来たと思ってた、あの頃恥ずかしく
思い出されます。
伝統の重みの素晴しさ、先生に出会えた素晴しさ、拳友達と学ぶ
素晴しさ、どれをとっても感謝です。身体のみならず心もやさしく
作用し健康に導いてくれる本物の太極拳に出合え本当に幸せです。
大好きです。追い求めても、追い求めてもあなたはまだまだです
よと、微笑みながら先を歩いて行ってしまいます。故に飽きずに
生涯つづけられる大切なパートナ-です。
司馬遷の史記にある名言「桃李物いわざるも、下自ら蹊を成す」
求めていた大好きな言葉です。この先も精進してまいります。
第12回伝統太極拳談議サロン
「私と伝統太極拳・入門以来18年・今感じていること」 長谷川顧問
身辺多忙で一ヶ月ぶりに本部道場に行きました。川を隔てた丘の
中腹の弘法堂のもみじや田園の稲も色づき始め、そこここに落ちて
いる栗の実など、道場はすっかり秋の気配に満ちていました。
本部道場開設以来三年近く門の両側を守る獅子像も本年三月建立とは
思えない程にすっかり景色に溶け込んでいます。
私が伝統楊式太極拳教室に入門してから18年が過ぎました。その間一
度も変わることなく劉先生の人柄と人を導く力、伝統太極拳の奥深さ
に魅せられ続けて来ました。18年間のときを経て今改めて楊式太極拳
八十五式の内、第一段十四式の難しさと重要性を実感しています。
全套路はとても及ばなくても”十四式だけでも自分なりに納得出来る
型が定まればそれだけで充分” 私の一生の宝として第一段をずっと
死ぬ迄こつこつと、楽しく練習して行きたいと強く思っています。
今この思いをまだ伝統太極拳を知らない人たちに伝えたい、少しでも
多くの人の身心の健康維持に役立ちたいと願っています。”
まず第一段だけを必死の覚悟で教えなさい”という劉先生の言葉に
背中を押され11月4日(水)より月二回、第一、第三 水曜日午前
中に"大府市げんきの郷” あぐりカレッジにて定期講座を持つこと
になりました。会員の方々の協力、宣伝を頂けたら幸いです。
初心の方たちと練習することが私にとっても素晴らしい学びの機会
となることを信じています。
げんきの郷の太極拳
(アンチエイジング太極拳教室のお知らせ)
伝統太極拳の先師達は老化とは身体だけでなく脳の衰えも含むと
説いています。現在日本では65歳以上の10人に1人が認知症と言わ
れています。太極拳は生活習慣病対策、介護予防に有効であり最近
では脳腸相関の観点から太極拳で丹田を鍛えることにより腸管を
活性化し脳機能の一部を補佐できると考えられています。
又医学的見地からも認知症の予防、改善の効果が期待されます。
先人達の知恵を借り太極拳を学び第二の脳、腸管を鍛えて身心の
老化予防に努めませんか。初めての方 大歓迎。
見学も歓迎です。
中国伝統医学太極拳会 会長・医学博士 劉 紅年
開催日時 : 平成27年11月より28年3月まで
毎月第一、第三水曜日 午前10時~11時半
場所 : あぐりカレッジあすなろ舎
受講料 : 5,000円 (全10回)
平成28年4月以降も継続予定
定員 : 20名
用意する物 : 運動しやすい服装(長袖、長ズボン)
底の薄い 運動靴
講師 : 中国伝統医学太極拳会顧問 長谷川厚子
極楽教室講師・平田寺 剣 講師
電話:052-704-1464
第10回 伝統太極拳談議サロン
普及元年 ゛謙虚 ゛の先を求めて 第二話 安井推進部長
7月の全体交流大会では、謙虚の先・・・ 禪縁の話をしました
が、今日はその番外編 “兄弟縁(愛) ` の話です。 妻に先立たれ
子供のいない兄は今年で八十八歳になりました。私の一家(妻、子供、
孫、一同十五名) で盛大に兄の米寿の祝いをしました。兄を始め、全
員が楽しい思いをしました。謙虚の先は身近な縁に感謝です。私と
違って知識人の兄は自分の殻から抜け出せないでおります。健康で
長寿はすばらしいことですが、本当に充実した人生を送っているのか
疑問をいだかされます。どうしたらよいか、その答えは、全体交流
大会で神本先生のお話の中にありました。
* 劉 紅年老師と出会い 太極拳を [知] った。
* 興味をもち、 やってみて [好] きになった。
* しかし 続けることは大変、[楽] しむしかない。
これはまさに論語の一節です。
及ばない。
「好」之者、不如「楽」之者。好むだけでは楽しむ人には及ばない。
どのように老後を生きるかは高齢化社会の大きな課題です。最近ある
言葉に出合いました。それは ゛生きて、生かされる゛です。
活到老、学到老。 一生懸命生き、一生勉強する。
まさに太極拳がそれを叶えてくれるでしょう。後期高齢者になった
今、私は太極拳の仲間の輪の中で生かされていることを実感して
います。天寿 (百二十歳) を目指して太極拳を楽しみましょう。
今回の夏合宿は厳しい中に楽しみありの充実した2日間でした。
守俳が詠います。
「玉の汗 ポタリと落ちて 極意知る」 まだまだ万遍には程遠く
「夏練に 庚が勝り 風涼し」 立秋を実感する
第9回 伝統太極拳談議サロン 「私の武者修行と太極拳」
話が少し長いが、私の武者修行の原点は子供のころにあった
いじめだった。母は背が高いがやせている人で、父はガッチリ
するが、背が低い。その二人に生まれた私は背が低くて、やせ
ているので、子供のころ自分の体格のことで随分さびしい思い
をした。ゲームがなかった時代だし、学校には午前か午後しか
行かなくてもよいので、宿題が終わったら外で近所の子供と遊ぶ
こと以外娯楽がなかった。腕白な男の子のグループと遊ぶとよく
殴られて、成すすべがなく、泣きながら帰ってきたことが常だった。
女の子のグループに入れてもらって遊ぶと「女々しいヤツだ!」と
遠くから揶揄された。中学までそんな状態だったが、学校での成績
がよかったので、クラスのリーダーとして抜擢されたことによって、
いじめもなくなった。しかし、心の奥に潜んでいる「強くなりたい」
という思いは変わらずあった。その中である日学校の近くに少林寺拳
法の道場があると聞いたので、密かに一人で訪ねた。対応してくれた
先生が仙人のような白いひげのお爺さんだった。親の許可をもらって
からでないと入門を認めないといわれた。親を説得するのに大変だっ
たが、ピアノの練習もやめない、学校での成績もトップ三位を維持
すると約束して、やっと許可をもらった。それから無我夢中に武術の
練習に励んだ。「師父」と呼ぶ例の「白いひげのおじいさん」の指導
はとてもユニークで、小柄の私に毎日の型練習のほかに「臨機応変」
といった特別メニューがあった。たとえば、「お茶をもってきて!」
とよばれて、熱いお茶を持って近くまで行くと、両手でトレーを持つ
私の眉間に師父の手が来る。困った私に師父は「死んだね」とニコニ
コして、「先はな、熱いお茶を俺の顔にかければよかったよ。避けら
れない俺が悪いから、余計な心配はするな!」と付け加えた。小柄で
体力があまりない人でも生き残れる術としての訓練だった。一方、
グローブをつけて、キックボクシングのような対練もした。こちらの
練習ではやはりパンチのリーチが同門者より短いので、腫れた顔で帰
宅した日が多かった。それを見かねた母が父に「上品な練習がない
か」言ったらしく、「合気道にしなさい」という命令が下ったので、
近所にある合気道の道場で稽古することとなった。合気道の練習が
新鮮だったし、「合気は愛なり」や「試合がない武術」などといった
理念に魅了されたので、夢中になった。しかし、三年目で型稽古に
対していろいろな疑問が出たが、指導してくれた先生や先輩に聞いて
も納得できる答えがなかったので、いつか日本に行く機会があれば、
本場の合気道にその答えを求めようとして一旦合気道の練習をやめ
た…
時間が流れて、大学が終わり、英語以外日本語も勉強するように
なって、その縁で日本への留学も決まった。そして、博士課程進学が
決まったときに、下宿先の近くにある道場で念願の「本場の合気道
練習」も始まった。しかし、やはり「三年目の悪夢」が再現した。
調べたところ、合気道の前身である大東流合気柔術のことを知った
ので、そちらの先生方の道場に赴いて、北海道から北九州まで様々
に見学や体験入門をお願いして、日本を縦断した。結論から申し
上げると、すばらしい先生方に出会ったものの、その稽古が私が
望んでいるものと異なるので、長く続かなかった。気づいたら5年間
ほどその「求道者」生活をしていたが、抱えていた疑問が未解決の
ままだったので、方向転換をしようと思って始まったのは太極拳
だった。最初は「24式」だったが、三ヶ月たったところ、膝の痛みが
日に増してきたので、やめざるを得なかった。それから、いわゆる
「実戦太極拳」へ走ったが、また例の「三年目の悪夢」が出現した。
今度は以前から抱えてきた疑問とどこの流派も型の練習、技の対練、
推手、武器というプログラムあるのに、なんだか物足りないという
感覚もあった。補足するために太極拳に関する文献もたくさん読ん
だが、どの本もごもっともな内容としか書かない。
武術の鍛錬を完全にやめようかと行き詰ったある日目に留まったの
が「NHK文化センター、武式太極拳」のチラシだった。先生のお名前の
ところには「劉紅年」と書いてあり、中国人で男性の先生のことだと
思った(劉先生、申し訳ございません)。これは最後の試しだと思っ
て、申し込んだ。そして、その日に練習会場に行ったら、なんと
劉先生は女性だし、周りを見ると女性が多いし、男性の中でどうやら
私は一番若年だったらしい。簡単な挨拶が終わったら「私と先輩の
皆さんの動きをみてついてね」と先生の一言だけで、練習が始まっ
た。「見たことない!何だこの太極拳!」(失礼しました!)と心の
中で叫んだ。型の第一段を六回してから、全套路を三回練習して終わ
りだった!「えっ、新人指導をしないのかよ」とまたもや心の叫びが
聞こえた。月に2回では覚えられないと思って、もっと練習したいなら
どうすればいいかと先輩に聞いたら亀島駅に本部道場があると教えて
くれた。本部道場の稽古初日にはなんと練習しようと思う武式太極拳
ではなくて楊式太極拳だったが、驚いた暇もなくそれからは楊式太極
拳も武式太極拳も練習することになった。
NHK教室 6階屋上にて 練習風景 Photo by 荘主
劉先生の太極拳は芸術そのものだと思う。あまり見るとうっとり
してしまって自分の動きができなくなってしまう不思議な美しさが
ある。合宿も何回か参加できたし、先生と先輩の方々に稽古を通
じていろいろ教えていただいた。三年経とうとしていたところで
諸事情あって、15年間住みなれた日本を離れ、ベトナムに帰ること
となったが、それからもそれなりに一人で稽古し続けているし、
チベット、ブータン、インド、タイ、シンガポール、マレーシア
各地に仕事や旅行へ行ったときにも太極拳を練習した。
2015年5月インドのダージリンにで
思えば、劉先生と会の皆様と共に稽古した時間は本当に貴重だっ
たし、もっと先生の下で修行したい。願わくば、健康長寿の秘訣は
もちろんのこと、 太極拳は立派な武術なので推手、武器などに
ついても教えていただきたい。
愛知県津島市 AYAKOさん
スポ-ツに縁のない私が太極拳に出会って、劉先生の魅力に魅了さ
れたのか、こんなにも長く続くのか、今になっても信じがたいもので
す。身体にも現れています。最近、落ち着いて生活が出来るようにな
りました。血圧が高かったのですが医者に見てもらったところ、下が
ってきていると言うのです。嬉しくなりました、薬も飲まなくて済み
ます。これも太極拳のおかげと感謝です。少しやったのでは駄目で
す。長年携わって来たからだと思います。なかなか上手くならず練習
不足と分かっているのですが生活の中に取り入れることは難しいで
す。でも、私の頭の中には一時も忘れた事は無いのです。ある時から
寝る前に少しずつ行っています。血圧を上げたくないですから。
劉先生によると太極拳と血圧には因果関係が有ると言っています。
続けると身体に良いことが分かってきました。私の一生の宝です。
第7回 伝統太極拳談議サロン 《太極拳=動く漢方療法》
愛知県武豊町 平さん
私が太極拳と出会ったのが60歳のときでした。それまでは言葉と
して、武道の太極拳、健康のための太極拳があるとの簡単なもので、
それなりの関心を持っていました。ある時、娘が大府での太極拳の
講習会のパンフレットを貰ってきたので、講師の紹介を読むと本場
中国の伝統太極拳の継承者とのこと、伝統太極拳に惹かれ講習会に
参加。その結果、このゆっくりした動きが出来ない、なぜか動け
ない。参加すればするほどストレスが溜まってきました。その対応
として、安城グループの練習会に参加させていただき、道場に通っ
てみえるよき先輩たちの指導を受け、その後道場にも誘われ、劉会長
のご指導を受けることになりました。このご指導の中で、太極拳の効
用を話してくださいます。その一つ『太極拳をすることにより、人間
が本来持っている正常化活動が活発化する。』と言われ、少年時代に
父が言っていた「西洋医学と漢方医学の違い」がよみがえり、私の頭
の中では《太極拳=動く漢方療法》なる式が出来上がってしまいま
した。このことが私にとっての「動く漢方療法」の始まりです。
欲深い私です。単なる動きだけでは飽き足らず、もっと効用のある
療法を求めはじめました。それは、太極拳はもっと奥深いはずとの思
いです。会長の動きは俗にいう「こなれすぎ」でついていけないの
で、道場で諸先輩の動きを見て、動きを盗みました。そのうちに会長
の個人指導が時々入ります。『ハイッ。そこでキープ。』その姿勢を
キープしながら会長の指導を待ちますが、耐えきれなくなり姿勢を崩
します。そこで『休まない。キープ、キープ』の声(会長は笑顔で
す。)が響き渡ります。そして夫々、個人的に口だけでなく体の姿勢
を手足を使って指導してくださいます。この時の体に感じる強烈さ、
たぶんこの強烈さはこのポイントだけでなく全般に通じることで
しょうけど。ある時は、手の位置や足の位置のちょっとした違いに
よる体感を説明され、それに基づき実際の動きの中で体感します。
説明されたということは、そのように動きなさいとのアドバイスだ
と思います。
折角の体感ですが、日々薄れてきます。この薄れを元に戻すために
も、淮南子に云う「無音の音を聴く(“聞く”ではない)者は聡な
り。」ではありませんが、道場での練習で自分の身体が発する言葉
(体が感じたあの時の強烈さ等)を聴けるように集中することを心掛
けていますし、このためにも道場通いは辞められません。
(道場以外ではどうしても自分に甘くなります。)
また、「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし。」との中国故事が
ありますが、すぐ隣に本物の師がみえたことに大きな感動と深い感謝
をしています。これから自分がどれだけ成長できるか、楽しみに練習
を続けたいと思っています。
今回の締めくくりとして、会長が心を込めて道場周辺の野花を離れ
に活け、私たち生徒に自然と共に生活し練習する心を教えてくれま
す。この花をみて、朝は今日一日の活力を得、夕には一日の反省と
次回への抱負を約束して家路につきます。
第2話 「不老長寿 実と虚」 廉譲堂太極山荘 荘主
2000年冬 夜も明けぬ極寒の中国天津、伝統武式太極拳第5代李光藩
大師の出迎えで河北省永年県広府鎮の李家へ出発した。昨日からの降
雪で路面は凍結している。永年県まで車で5時間余りの行程に一抹の
不安がよぎる。今回の訪問は劉紅年会長が師匠の傅 鍾文老師の墓参り
を兼ねて計画された。息子の志方、弟子、李光藩大師、会長と私の5名
で久々の再会を車内で懇談し束の間の時間を過ごした、高速道路が圧
雪で凍結しているにもかかわらず順調な走行で日の出とともに高速道
路インタ-チェンジ出口へ到着、ノンストップ5時間近くのドライブに
一同車外でほっと一息をつく。私も車にお疲れさまと声を掛けるべく
振り向くと 「な・な・なんと」 タイヤがノ-マルタイヤではない
か。この瞬間、無事に到着できた事が奇跡なのか、運転手の腕前なの
か兎にも角にも驚嘆した。
朝食の後、早速、傅 鍾文老師の墓参りへ出向く、当時は現在の墓苑
記念館とは別の所に墓碑が建てられていた。広府鎮の外れで鮒、鯉等
の養殖池の片隅であった。車道から墓碑までは池の周りを取り囲むあ
ぜ道伝いに進んでいく、と、突然大型のシェパ-ド犬2匹が唸り声を上
げて我々に向かってくるではないか、池の鮒、鯉などの盗難防止用に
放たれた番犬のようだ。身に危険を感じた瞬間、志方が声をあげた発
声「は~~」で威嚇すると番犬2匹は地べたへおとなしく座り我々を
迎いいれた。
劉会長は師匠との懐かしい再会を墓碑に向かって語りかけている。
一同合掌し帰路についた。私は辺りの風景を写真撮影し、少し遅れて
後を追った。あぜ道を一列で歩く仲間たち、はて、二、四、五と人影
を数えると5名、来たときは自分を入れて5名、帰る時は自分を除いて
5名、まさか、傅鍾文老師が我々と一緒に帰ろうとしているのか、一瞬
背筋が凍りついた。気お取り直し墓碑を望むと、なんと傅 鍾文老師が
手を振って我々を見送っているではないか、目の錯覚か、劉会長に大
声で状況を報告し全員で振り返って墓碑を見る、やはり老師が手を
振っているではないか、私はとっさに写真のシャッタ-を切った。
冷静に考えて改めて見直すと墓碑の横の大木の枝が風に揺れる様子が
老師の手に見えたのかもしれない。その日の夜、永年県広府鎮城内の
レストランで夕食を共に語り合う、レストランの入口は氷点下の寒風
が吹きさらし、のれんを揺らしている、土間のテ-ブルをランプの薄
明かりが揺らいでいる、鮒の煮こごりを肴にバイ酎を酌み交わし太極
拳談議に花を咲かせていると傅 鍾文老師が微笑んで聞き入っている姿
が目に浮ぶ。
この日を境に傅 鍾文老師が常に我々を見守っていてくださるのだと
確信する。
「太極拳で意識しているポイント」
神本先生の教室で85式太極拳を習い始めて2年。毎朝の秋葉公演での
全套路演舞、毎週火曜、土曜、日曜のサ-クルと自宅練習で、全套路
換算にして累計1700回実践。今では、蹬脚 (ドンジャオ)もあまりふ
らつかずに、それなりの高さまで足を上げられるようになってきまし
た。ヒザを痛めること無く太極拳を継続できたのは、神本先生の楽し
さあふれる、判りやすいご指導、ご指摘のおかげと感謝しています。
ここでは、私が特に心がけている゛太極拳での意識ポイント゛を述べ
ます。
第1点は、足形要領のひとつ「ひざはつま先方向に曲げる」におい
て、起勢(チ-シ-) などでは意識してO脚の方向にひざを曲げるよう
に注意しています。自分ではつま先方向にひざを曲げているつもり
だったのに、足を肩幅に開いて、つま先を若干外に向けている状態
ではX脚方向に曲げていることになることを神本先生に指摘されて初め
て気付かされたことで、ヒザを痛めることなくやってこれた最大のポ
イントと思っています。
第2点は、手形要領のひとつ「掌 (ジャン) は自然に開いた状態で
ひざに当てたような丸みで」において、撹雀尾 (ランチュエウェイ)
や楼膝坳歩 (ロウシ-アオプ-) などで手を押し出すときには、押し
出す力が序々に増えて最大力に達したあと序々に減っていくという
放物線の力を加えるイメ-ジで、手首から先の掌を動かすように意識
しています。「脳の活性化につながる手首を回す整理運動」と共に
神本先生直伝事項であり、その効用を信じて注意しているポイント
です。
第3点は、動き方要領のひとつ「足→腰→手の順を意識したなめら
かな動き」において、撹雀尾では足、腰の動きが完全に終わるまで
我慢してから手を押し出すように意識しています。(インタ-ネット
動画情報により)。ゆっくりと重心移動しながらの腰の動き&手へと
なめらかに進めるときに注意しているポイントです。
今後は更に呼吸要領のひとつ「自然呼吸」において、神本先生
ご指導の全套路28分を自然呼吸でペ-スをつかみながら、周りの
動きに同期した太極拳を心がけて、「ゆっくりした動き+呼吸+
気配り」による「体力アップ+脳活性化」の効用を享受し、劉先生
談の上達のコツ「万回練習」を達成して、死ぬまでピンピン
で過ごしたいと考えています。
私のアルツハイマ-(Alzheimer's disease、AD)(2008年発症)
と太極拳
私が太極拳に出合ったのは2006年から2008年に中京大学で
の社会人学校で漢詩の講習を受けている時でした。このとき
私は太極拳の講義も受けました。その後、太極拳をやる機会が
なく過ごしてきました。但し、好きなゴルフだけは子供の5歳の時
からやっていたので続けておりました。ところが2008年7月に外出
して家に帰ることが出来なくなり頭が混乱してしまいました。
すぐ近くの総合病院にいったらアルツハイマ-と云われ、この
病気は薬も治療法も無い、暴力をふるったり徘徊するように
なったら、その時に又来院して下さいと云われ、この病院はどう
なっているのだと怒りにふるえました。
すぐに近くに住んでいる義兄に相談したら大府の国立長寿医療
研究センタ-に行って診療
普通は3ヶ月から6ヶ月待ちなのに14日後に診療してもらえました。
そこでも私はアルツハイマ-
だと云われ担当の先生から治療はするし薬も出すが治療の半分であ
る、あとの半分は私自身が身体を動かして外に出て多くの
を交わすことだと云われました。それ以後ずっとこの言葉を信じて
毎日を過ごしています。2013年10月2日妻が近くの秋葉
太極拳をやっているのを見つけて、リ-ダ-の神本先生に「アルツ
ハイマ-になって6年目ですがれでも仲間に入れてもらえますか」
と問い合わせたところ「どうぞ来て下さい」と云われました。
以後時間のある限り毎日のように秋葉公園(月、水、金曜日)、桜井
福祉センタ-(火曜日) 、西部福祉センタ-(木曜日)、総合福祉
センタ-(土曜日)、陸上競技場(日曜日) などへ出掛け太極拳を楽し
み
ます。こうして毎日太極拳が出来る環境を作っていただいたのは
神本先生です。
また、美濃加茂本部道場 劉紅年先生のところへ連れて行ってい
ただき何かと相談にのってもらい大変幸せに思っております。
妻は特に紅年先生に電話して教え
日本ガイシホ-ルでの全体交流会では思ってもいなかった挨拶を
しなさいと云われビックリしましたが何と
ました。その時は多くの面識のない他の教室の人々と一緒に太極拳
をやることが出来て楽しい時間を持てました。ありがとうござい
ます。
ますます太極拳が面白くなり脳が活発に働いてアルツハイマ-
が治るのではないかと期待しております。
太極拳が練習できる今は一番幸せです・・・・・・
伝統太極拳談議サロン
第3回 普及元年 ゛謙虚 ゛の先を求めて 第一話」安井推進部長
今年は日本廉譲堂太極拳会にとって節目の年です。今年3月末(吉日)、
美濃加茂本部道場に獅子像が鎮座し、まさに聖地が定まりました。
欲窮千里目 更上一層楼
更なる発展、普及を目指す元年です。私は今年の始に劉老師より
゛太極拳の心「謙虚」の先の言葉゛とは 公案を頂きました。
今答えは出ませんがこれから3回に亘って思いをお話ししたいと
思います。
今日はそのⅠ「論語」で皆さんが知っている聖人孔子に学び孔子を
超えよう。またとんでもない事を言う。と お叱りを受けるかもしれ
ません、もちろん孔子様の業績を軽んずるものではありません。
それどころか論語を始め四書五経は私の聖書として活用しています。
我々には太極拳という強い身方があります。孔子様は72歳、73歳で
お亡くなりになったと聞きます。我々は80歳は無論のこと、90歳、
100歳を目指し年齢で孔子様を超えることは出来ます。そんな思いを
込めて今日の交流会を一句にまとめてみました。
三伏に 拳友集いて 技競う。
三伏とは夏の暑い盛り 「只管打拳」 (夏練三伏、冬錬三九)
これは 論語 学而 第一章の実戦そのものです。
「学而時習え 不亦説学乎」 学んだことを復習し発表する悦ばしい
ことですね。
「有朋遠方来 不亦楽学乎」 友が遠方よりやって来る、楽しい
ことですね。
「人不知而不慍不亦君子乎」 人が理解しなくても恨むまず君子だ
なあ。
しかし我々は謙虚で終わっていいのでしょうか、更に先の言葉は何
か、その言葉を捜しましょう。
孔子様は自の経験をもとに年齢と心構え、心境を語っています。
「六十歳 耳順」 他人の言(忠告、教訓) を受け入れる度量が
ある。
「七十歳 您心」 心の思うがままに行動するが人の道は外さない。
「八十、九十歳 ありません」 皆さんで考えましょう。
以前 劉老師から「知円」という色紙をいただきました。まだ
それを悟る境地ではありません。いま頭の中に去来する言葉は
「禪縁」です。
60歳のとき始めて劉老師と出会い、自分の娘と同世代の先生の話を
素直に受け入れた自分があり、後期高齢者の仲間入りした今、自由
気ままに話が出来る私がいる、(縁)を感じます。今を盛りとあち
こちで咲いている大賀蓮を思い出します。縄文時代の土器から発見
された蓮の種が大賀博士との出会いで2千数百年后の今日、大輪の花
を咲かせています。まさに縁です。縁があって生かされる。
「縁欠不生」です。
いま我々がやるべきことは、太極拳の縁をさらに大きな縁に、円に
していくことではないでしょうか
続く
伝統太極拳談義サロン
第2回 迎卒寿 人生健康法の一端
神本守行 90歳
健康についてはWHO 世界保健機関憲章で定められているが特別
気にかけて毎日の生活をしている訳ではありません。身体的にも精神
的にも社会的にも健康であってこそ健康と言えるでしょう。他人から
観て忘れられているのは後者の二つだと思います。
ただ身体が丈夫であれば -病気にならないから- 頑丈だから-と
言うだけではない・もっと観えない脳の働き・精神的な面・正しい判
断力・修正力など現代高齢者社会に於いて重要な役割を果たしている
と思います。私は永く保険体育方面の仕事をしてきましたが身体的な
ものにはある程度限度もあります。
上記二項目について余り目立ちませんが注意をして指導してきまし
た。
20数年前生涯スポーツの必要性に迫られ生きている限りはやらなきゃ
いけない事は何かとニュースポーツを体験指導してきましたがやっぱ
り落ち着くところは太極拳であろうと入門しました。
上手下手はともかく脳を働かして身体の隅々まで動かして脳に刺激
を与えて活性化を果たすことに力を入れてやっています。現代社会に
おいてもいろいろの脳神経系の病気が報道されて。
何か少しでもお役に立てれば幸いです。
私も高齢者でも後期であります。1日も健康で永く多くの皆様がたと
明るく豊かな生活をと思い下記にほんの一端をあげておきます。
ア.朝早く起きて散歩、明るい気持ちで今日もまた元気にやろう。
イ.生かされている感謝を持って自分の好きな事を何時までも
永くつづけよう。
ウ.嬉しい事は皆で喜ぼう。 苦しいことや悲しいことは早く忘
れること。
エ.笑顔を忘れずに生き生きと太極拳を続けよう、覚えようと
せず。
オ.男として生まれ20代の頃を思いだして(終戦間近)、余生を楽
しむ。
まだいろいろ有りますがストレスを溜めない自分にあった健康法とし
て次にあげます。
SU スポーツを楽しむ、無理なことは直ぐ止めよ、太極拳は
何時でも何処でも誰でも気軽に楽しく出来る。
TO トラベル旅行、遊び、ドライブ。
RE レクレーション 気分転換
SU スマイル.微笑み.笑顔を忘れず.睡眠.好きな物は
何でも食べる、量に気をつける。好きなことは何でも
やってみる、他人に迷惑を掛けないように。
以上気の付くままを記しましたが人生いろいろあります。その人
その人の環境も10人10色です。自分にあった事を創作し
て生き甲斐のある人生を送って下さる事を
祈念して私の拙ない独り言を終わります。
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伝統楊式太極拳第5代伝人
伝統武式太極拳第6代伝人
中国伝統文化の華である伝統太極拳の普及と継承を目的とし2000年9月名古屋にて設立しました。
楊式太極拳創始者の楊禄禅先師は晩年弟子たちを前に太極拳の究極の目的を話しました。
弟子たちは秘伝の技の伝授を期待して集まっていたが先師の言葉はく「詳問用意終何在,延年益寿不老春」と答えたそうです. 日本語で太極拳の最終的な目的は,「アンチエイジング,心身ともの健康の実」であると。
司馬遷の「史記」によると紀元前3世紀、中国秦の時代に始皇帝の命を受け徐福以下3,000人の童男童女が東方(韓国、日本)に不老不死の霊薬を求めて船出しましたが霊薬は見つかりませんでした。
しかし、現代不老長寿の術はあります。それは太極拳です。
歴史のロマンと現代社会を生き抜く術を学びながら医学的効用について解明を図ってまいります。
医学博士会長 劉 紅年