第2話 「不老長寿 実と虚」 廉譲堂太極山荘 荘主
2000年冬 夜も明けぬ極寒の中国天津、伝統武式太極拳第5代李光藩
大師の出迎えで河北省永年県広府鎮の李家へ出発した。昨日からの降
雪で路面は凍結している。永年県まで車で5時間余りの行程に一抹の
不安がよぎる。今回の訪問は劉紅年会長が師匠の傅 鍾文老師の墓参り
を兼ねて計画された。息子の志方、弟子、李光藩大師、会長と私の5名
で久々の再会を車内で懇談し束の間の時間を過ごした、高速道路が圧
雪で凍結しているにもかかわらず順調な走行で日の出とともに高速道
路インタ-チェンジ出口へ到着、ノンストップ5時間近くのドライブに
一同車外でほっと一息をつく。私も車にお疲れさまと声を掛けるべく
振り向くと 「な・な・なんと」 タイヤがノ-マルタイヤではない
か。この瞬間、無事に到着できた事が奇跡なのか、運転手の腕前なの
か兎にも角にも驚嘆した。
朝食の後、早速、傅 鍾文老師の墓参りへ出向く、当時は現在の墓苑
記念館とは別の所に墓碑が建てられていた。広府鎮の外れで鮒、鯉等
の養殖池の片隅であった。車道から墓碑までは池の周りを取り囲むあ
ぜ道伝いに進んでいく、と、突然大型のシェパ-ド犬2匹が唸り声を上
げて我々に向かってくるではないか、池の鮒、鯉などの盗難防止用に
放たれた番犬のようだ。身に危険を感じた瞬間、志方が声をあげた発
声「は~~」で威嚇すると番犬2匹は地べたへおとなしく座り我々を
迎いいれた。
劉会長は師匠との懐かしい再会を墓碑に向かって語りかけている。
一同合掌し帰路についた。私は辺りの風景を写真撮影し、少し遅れて
後を追った。あぜ道を一列で歩く仲間たち、はて、二、四、五と人影
を数えると5名、来たときは自分を入れて5名、帰る時は自分を除いて
5名、まさか、傅鍾文老師が我々と一緒に帰ろうとしているのか、一瞬
背筋が凍りついた。気お取り直し墓碑を望むと、なんと傅 鍾文老師が
手を振って我々を見送っているではないか、目の錯覚か、劉会長に大
声で状況を報告し全員で振り返って墓碑を見る、やはり老師が手を
振っているではないか、私はとっさに写真のシャッタ-を切った。
冷静に考えて改めて見直すと墓碑の横の大木の枝が風に揺れる様子が
老師の手に見えたのかもしれない。その日の夜、永年県広府鎮城内の
レストランで夕食を共に語り合う、レストランの入口は氷点下の寒風
が吹きさらし、のれんを揺らしている、土間のテ-ブルをランプの薄
明かりが揺らいでいる、鮒の煮こごりを肴にバイ酎を酌み交わし太極
拳談議に花を咲かせていると傅 鍾文老師が微笑んで聞き入っている姿
が目に浮ぶ。
この日を境に傅 鍾文老師が常に我々を見守っていてくださるのだと
確信する。
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伝統楊式太極拳第5代伝人
伝統武式太極拳第6代伝人
中国伝統文化の華である伝統太極拳の普及と継承を目的とし2000年9月名古屋にて設立しました。
楊式太極拳創始者の楊禄禅先師は晩年弟子たちを前に太極拳の究極の目的を話しました。
弟子たちは秘伝の技の伝授を期待して集まっていたが先師の言葉はく「詳問用意終何在,延年益寿不老春」と答えたそうです. 日本語で太極拳の最終的な目的は,「アンチエイジング,心身ともの健康の実」であると。
司馬遷の「史記」によると紀元前3世紀、中国秦の時代に始皇帝の命を受け徐福以下3,000人の童男童女が東方(韓国、日本)に不老不死の霊薬を求めて船出しましたが霊薬は見つかりませんでした。
しかし、現代不老長寿の術はあります。それは太極拳です。
歴史のロマンと現代社会を生き抜く術を学びながら医学的効用について解明を図ってまいります。
医学博士会長 劉 紅年