2014年5月24日、25日の二日に亘り初夏を感ずる京都で48名の参加者が集い実り多い合宿となりました。京都京城は中国の都城(長安)を模倣したといわれ伝統太極拳の継承・普及を目指す我が会にとって最適の場所となりました。
最初に弘法大師空海ゆかりの東寺を全員で拝観し空海の心である「身は高野 心は東寺におさめをく」を我々なりに「身は美濃加茂「廉譲堂」 心は永年広府におさめをく」の心境で境内の宮本武蔵が身を潜めた観智院を訪れました。
院内の庭園「五大の庭」は弘法大師が唐の長安で密教の全てを受法し、数々の法具経典と共に帰国された様子が地理的に配置されています。向かって右側の築山に唐の長安、中央に遣唐船とこれを守護する竜神・神亀・鯱を表現し、左側の築山日本国が構成されています。
この庭を見た瞬間我が会の理念である徐福伝説を彷彿とさせました。
観智院の国宝の客殿には、宮本武蔵が筆を取り描いた「鷲の図」と「竹林の図」があります。宮本武蔵が吉岡一門を打ち倒した後、3年間、21歳の時観智院にかくまわれていたそうです「鷲の図」「竹林図」は、その時に描かれたものです。
劉会長の解釈では宮本武蔵は常に「身を浅く思ひ 世を深く思ふ」の自戒の言葉がこの二つの図に表れているとの事。解釈すれば「戦いのとき自身を捨て相手の動きに合わせる」更に「他人に優しく自身に厳しく」と、、、、我々太極拳者もこのようになりたいですね。
「鷲の図」は二羽の鷲が描かれています。戦国の世に上の鷲は、戦うとして有利の位置を構えていた「既得地位にある人たちの象徴」、下の鷲は宮本武蔵自身です、これから如何なる状況であろうと必ず生き残ることを決心した生命力溢れる水墨画です。
また、下の鷹は地面を蹴って羽ばたこうとしていますが太極拳の真髄そのものです。
「竹林の図」の右の部分の竹は横になって、梢は鞭のように次の変化に備え、横への動き「斬る」ことを想定しているようです、図の左側の竹は下の節から上の節へ一気に流れ、また、上から下に戻す正確に繰り返す刀力を鋭く表現しています、既に佐々木小次郎との戦いは準備していると感じます、宮本武蔵が二刀流を完成した時期では?
ちなみに宮本武蔵は左利きです。
「竹林の図」は太極拳の「玉 女 穿 梭」を彷彿とさせます。
図は写真撮影禁止の為、以下東寺のhomepageにてご参考下さい。
http://www.toji.or.jp/musashi.shtml
「東寺」で十二分に太極拳の真髄へと通ずる勉強が出来た後、午後より京都テルサ体育館で総合練習を行いました。
はじめに会長、長谷川顧問、安井推進部長、森幹事代表から挨拶を頂き早速練習です。
チ-ムワ-クよく日ごろの練習成果を発表して頂きました。
最後のまとめは劉会長による「大文字・五重塔」を、拳友が剣舞する中、吉野さんたちは身体で表現する大の字に会長が五重塔を演じる大パフォ-マンスです。
皆さんの無病息災を願って演舞されました。
更に会長の剣は一本の剣で演舞していましたが突然一本の剣が二刀流となり場内を沸かせました。ここに宮本武蔵現わるの図でした。
夜は皆さんと楽しい懇親会、夜遅くまで太極拳談議に花が咲きました。
翌朝は早朝より東本願寺境内で太極拳朝練です。境内の玉砂利も太極拳士には心地よい足場であったようです。
京都テルサ体育館で総合練習の後、弘法大師ゆかりの智積院会館にて精進料理を頂き全ての行事を終了しました。
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伝統楊式太極拳第5代伝人
伝統武式太極拳第6代伝人
中国伝統文化の華である伝統太極拳の普及と継承を目的とし2000年9月名古屋にて設立しました。
楊式太極拳創始者の楊禄禅先師は晩年弟子たちを前に太極拳の究極の目的を話しました。
弟子たちは秘伝の技の伝授を期待して集まっていたが先師の言葉はく「詳問用意終何在,延年益寿不老春」と答えたそうです. 日本語で太極拳の最終的な目的は,「アンチエイジング,心身ともの健康の実」であると。
司馬遷の「史記」によると紀元前3世紀、中国秦の時代に始皇帝の命を受け徐福以下3,000人の童男童女が東方(韓国、日本)に不老不死の霊薬を求めて船出しましたが霊薬は見つかりませんでした。
しかし、現代不老長寿の術はあります。それは太極拳です。
歴史のロマンと現代社会を生き抜く術を学びながら医学的効用について解明を図ってまいります。
医学博士会長 劉 紅年