廉譲堂太極山荘開所五周年記念 第四弾 第三回報告
10月8日永年県広府鎮と別れの時となりました。早朝にも係わらず
李光藩大師始め拳友の皆様の見送りを受け、短い滞在ではありました
が多くの拳友と交流し、太極拳故郷の大地を自身の身体で感ずる事が
できました。別れ際、李光藩大師から劉紅年会長に次のような
メッセ−ジを頂きました。「お気をつけて旅を楽しんでください、
練習に励んで伝統太極拳の普及を頑張ってくださいね」と、
ありがたいお言葉で、これからの太極拳に取り組む心意気を
翌日8日は歴史遺産の見学です。渉県の鳳凰山山麓の「媧皇宮」へ向かいます。
この場は女媧を祭る場所で女媧はここで石を練り天を補い、土をこね人を作ったという伝説があります。毎年旧暦3月1日から18日にかけて、全国各地から多くの人が女媧を拝みにここを訪れ、「女媧祭典」は祖先を祭る全国5大イベントの1つであり、2006年に第1次国家級の民俗「無形文化遺産」に指定されています。ここからが我々太極拳士の本領発揮となります。女媧像は断崖の中腹にあり急な石畳の階段を500段以上登らなければなりません。実はこの先の訪問地である「响堂山石窟」は700段以上の登りとはこの時点でだれも知りません。
続いて邯鄲市西方にある仏教石窟寺院の响堂山石窟を訪れました。
時折小雨が降る中、黙々と石段を登り石仏に参拝しました。
翌9日は早朝太極拳を天壇公園の廊下で行い、公園内散策の後、道教所縁の寺院「白雲観」を訪れました。道士像に皆さん手を合わせ太極拳が出来る事に感謝しました。
そして万里の長城へと向かい、「慕田峪」へはロープウェイで登ります。頂上からの眺めは延々と続く城壁が圧巻でした。天候は急変し強風が吹き荒れ、みぞれが降りだします。
昨日に続いて荒天の中、不思議なことに力がみなぎってきました。
正に日頃、美濃加茂本部道場で自然と共に練習し養った成果が表れた時でした。
北京に戻る高速道路では濃い濃霧で視界は数メートルと視界を遮りますが無事、
北京市内のレストランに到着。ここでサプライズの披露です。
安井守推進部長が当日誕生日を迎え皆で祝福しました。そして、京劇の鑑賞です。
故宮(紫禁城)を訪れ皇帝の権力の強さ、偉大さに驚嘆です。
セントレヤには夜9時過ぎの帰国となり全ての行事が無事終了しました。
今回は道場開所5周年記念行事の一環ではありますが、伝統太極拳故郷で貴重な体験を学んだ旅でした。
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伝統楊式太極拳第5代伝人
伝統武式太極拳第6代伝人
中国伝統文化の華である伝統太極拳の普及と継承を目的とし2000年9月名古屋にて設立しました。
楊式太極拳創始者の楊禄禅先師は晩年弟子たちを前に太極拳の究極の目的を話しました。
弟子たちは秘伝の技の伝授を期待して集まっていたが先師の言葉はく「詳問用意終何在,延年益寿不老春」と答えたそうです. 日本語で太極拳の最終的な目的は,「アンチエイジング,心身ともの健康の実」であると。
司馬遷の「史記」によると紀元前3世紀、中国秦の時代に始皇帝の命を受け徐福以下3,000人の童男童女が東方(韓国、日本)に不老不死の霊薬を求めて船出しましたが霊薬は見つかりませんでした。
しかし、現代不老長寿の術はあります。それは太極拳です。
歴史のロマンと現代社会を生き抜く術を学びながら医学的効用について解明を図ってまいります。
医学博士会長 劉 紅年