第9回 伝統太極拳談議サロン 「私の武者修行と太極拳」
話が少し長いが、私の武者修行の原点は子供のころにあった
いじめだった。母は背が高いがやせている人で、父はガッチリ
するが、背が低い。その二人に生まれた私は背が低くて、やせ
ているので、子供のころ自分の体格のことで随分さびしい思い
をした。ゲームがなかった時代だし、学校には午前か午後しか
行かなくてもよいので、宿題が終わったら外で近所の子供と遊ぶ
こと以外娯楽がなかった。腕白な男の子のグループと遊ぶとよく
殴られて、成すすべがなく、泣きながら帰ってきたことが常だった。
女の子のグループに入れてもらって遊ぶと「女々しいヤツだ!」と
遠くから揶揄された。中学までそんな状態だったが、学校での成績
がよかったので、クラスのリーダーとして抜擢されたことによって、
いじめもなくなった。しかし、心の奥に潜んでいる「強くなりたい」
という思いは変わらずあった。その中である日学校の近くに少林寺拳
法の道場があると聞いたので、密かに一人で訪ねた。対応してくれた
先生が仙人のような白いひげのお爺さんだった。親の許可をもらって
からでないと入門を認めないといわれた。親を説得するのに大変だっ
たが、ピアノの練習もやめない、学校での成績もトップ三位を維持
すると約束して、やっと許可をもらった。それから無我夢中に武術の
練習に励んだ。「師父」と呼ぶ例の「白いひげのおじいさん」の指導
はとてもユニークで、小柄の私に毎日の型練習のほかに「臨機応変」
といった特別メニューがあった。たとえば、「お茶をもってきて!」
とよばれて、熱いお茶を持って近くまで行くと、両手でトレーを持つ
私の眉間に師父の手が来る。困った私に師父は「死んだね」とニコニ
コして、「先はな、熱いお茶を俺の顔にかければよかったよ。避けら
れない俺が悪いから、余計な心配はするな!」と付け加えた。小柄で
体力があまりない人でも生き残れる術としての訓練だった。一方、
グローブをつけて、キックボクシングのような対練もした。こちらの
練習ではやはりパンチのリーチが同門者より短いので、腫れた顔で帰
宅した日が多かった。それを見かねた母が父に「上品な練習がない
か」言ったらしく、「合気道にしなさい」という命令が下ったので、
近所にある合気道の道場で稽古することとなった。合気道の練習が
新鮮だったし、「合気は愛なり」や「試合がない武術」などといった
理念に魅了されたので、夢中になった。しかし、三年目で型稽古に
対していろいろな疑問が出たが、指導してくれた先生や先輩に聞いて
も納得できる答えがなかったので、いつか日本に行く機会があれば、
本場の合気道にその答えを求めようとして一旦合気道の練習をやめ
た…
時間が流れて、大学が終わり、英語以外日本語も勉強するように
なって、その縁で日本への留学も決まった。そして、博士課程進学が
決まったときに、下宿先の近くにある道場で念願の「本場の合気道
練習」も始まった。しかし、やはり「三年目の悪夢」が再現した。
調べたところ、合気道の前身である大東流合気柔術のことを知った
ので、そちらの先生方の道場に赴いて、北海道から北九州まで様々
に見学や体験入門をお願いして、日本を縦断した。結論から申し
上げると、すばらしい先生方に出会ったものの、その稽古が私が
望んでいるものと異なるので、長く続かなかった。気づいたら5年間
ほどその「求道者」生活をしていたが、抱えていた疑問が未解決の
ままだったので、方向転換をしようと思って始まったのは太極拳
だった。最初は「24式」だったが、三ヶ月たったところ、膝の痛みが
日に増してきたので、やめざるを得なかった。それから、いわゆる
「実戦太極拳」へ走ったが、また例の「三年目の悪夢」が出現した。
今度は以前から抱えてきた疑問とどこの流派も型の練習、技の対練、
推手、武器というプログラムあるのに、なんだか物足りないという
感覚もあった。補足するために太極拳に関する文献もたくさん読ん
だが、どの本もごもっともな内容としか書かない。
武術の鍛錬を完全にやめようかと行き詰ったある日目に留まったの
が「NHK文化センター、武式太極拳」のチラシだった。先生のお名前の
ところには「劉紅年」と書いてあり、中国人で男性の先生のことだと
思った(劉先生、申し訳ございません)。これは最後の試しだと思っ
て、申し込んだ。そして、その日に練習会場に行ったら、なんと
劉先生は女性だし、周りを見ると女性が多いし、男性の中でどうやら
私は一番若年だったらしい。簡単な挨拶が終わったら「私と先輩の
皆さんの動きをみてついてね」と先生の一言だけで、練習が始まっ
た。「見たことない!何だこの太極拳!」(失礼しました!)と心の
中で叫んだ。型の第一段を六回してから、全套路を三回練習して終わ
りだった!「えっ、新人指導をしないのかよ」とまたもや心の叫びが
聞こえた。月に2回では覚えられないと思って、もっと練習したいなら
どうすればいいかと先輩に聞いたら亀島駅に本部道場があると教えて
くれた。本部道場の稽古初日にはなんと練習しようと思う武式太極拳
ではなくて楊式太極拳だったが、驚いた暇もなくそれからは楊式太極
拳も武式太極拳も練習することになった。
NHK教室 6階屋上にて 練習風景 Photo by 荘主
劉先生の太極拳は芸術そのものだと思う。あまり見るとうっとり
してしまって自分の動きができなくなってしまう不思議な美しさが
ある。合宿も何回か参加できたし、先生と先輩の方々に稽古を通
じていろいろ教えていただいた。三年経とうとしていたところで
諸事情あって、15年間住みなれた日本を離れ、ベトナムに帰ること
となったが、それからもそれなりに一人で稽古し続けているし、
チベット、ブータン、インド、タイ、シンガポール、マレーシア
各地に仕事や旅行へ行ったときにも太極拳を練習した。
2015年5月インドのダージリンにで
思えば、劉先生と会の皆様と共に稽古した時間は本当に貴重だっ
たし、もっと先生の下で修行したい。願わくば、健康長寿の秘訣は
もちろんのこと、 太極拳は立派な武術なので推手、武器などに
ついても教えていただきたい。
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伝統楊式太極拳第5代伝人
伝統武式太極拳第6代伝人
中国伝統文化の華である伝統太極拳の普及と継承を目的とし2000年9月名古屋にて設立しました。
楊式太極拳創始者の楊禄禅先師は晩年弟子たちを前に太極拳の究極の目的を話しました。
弟子たちは秘伝の技の伝授を期待して集まっていたが先師の言葉はく「詳問用意終何在,延年益寿不老春」と答えたそうです. 日本語で太極拳の最終的な目的は,「アンチエイジング,心身ともの健康の実」であると。
司馬遷の「史記」によると紀元前3世紀、中国秦の時代に始皇帝の命を受け徐福以下3,000人の童男童女が東方(韓国、日本)に不老不死の霊薬を求めて船出しましたが霊薬は見つかりませんでした。
しかし、現代不老長寿の術はあります。それは太極拳です。
歴史のロマンと現代社会を生き抜く術を学びながら医学的効用について解明を図ってまいります。
医学博士会長 劉 紅年